ヒモニートから税理士へ【第2話】 春の光が届かない場所で

🛋ヒモニートから税理士へ


これは、社会のどこにも属さなかった20歳の私が、
税理士になるまでの、再生の物語。


ヒモニートから税理士へ
第2話 春の光が届かない場所で

彼が“ヒモニート”のような
生活を送るようになったのには、

理由がなかったわけではない。


彼がまだ、18歳だった時のこと。

ちょうど大学入試の結果が出る頃に、
母に重い病が見つかったのだった。


診断の時にはすでに末期の状態で、
医師の見立てでは…余命一年だった。

彼はその現実を、
どこか遠くの世界の出来事のように
受け止めていた。

どうか嘘であってほしい、と。



合格通知の封筒を手にしたのも、
その頃だった。

合格していたのは、
地元を離れた国立大学。


行くとなれば、
母との時間はもうほとんど残らない。

…厳しい現実だった。


父はショックで、
ほとんど言葉を失っていたが、

やがて小さな声で言った。


「お母さんに、最期に寂しい思いを
させないであげてほしい」


父の悲痛な思いが、痛いほど伝わってきた。

父からすれば、
大切な妻の病気を知ったすぐ後に、


息子に対して、
「合格した大学への進学を諦めて欲しい」
という言葉をかけるなんて。

身を引き裂かれる思いだったに違いない。



彼は母に、

「本当は地元の国立大に行きたかったから、
来年また受け直すよ」

と言って、

合格した大学に進むのは、
諦めることにした。


…浪人という言葉の裏に隠したのは、
母と過ごすための時間だった。


だが、治療費もかさみ、
それほど裕福ではない家庭に、

予備校へ通わせる
金銭的な余裕はなかった。


彼はアルバイトをしながら、
独学で受験勉強を続けた。

だが、机に向かっても
文字が頭に入らない日が、増えていった。



約一年後…

母は、静かに息を引き取った。


その時は悲しみというよりも、
燃え尽きたような感覚だったのを覚えている。


しばらくの間、
ほとんど何も食べられず、何も考えられず、

ただ、時間だけが流れていった。



結果、次の大学入試では
第一志望には届かず…

すべり止めで1校だけ受験した
私立大学に合格という、結果だった。


正直な所、それほど行きたい場所でも
なかったのだが…

1年前に、進学を諦めさせた
負い目があったのだろう、


父が強く希望した事もあって、
彼はその学校へ入学した。



だが、それから半年ほど経った頃。

家に届いた消費者金融からの封書を、
彼は見てしまう。


中には…

数百万円の、借入金額が書かれていた。

それを見てからは、
正直、大学生活どころではなかった。


「これ以上、家に負担をかけるのはやめよう」

そう決めて、彼は、大学を去る決意をした。



その頃、彼にはもう
“日銭を稼ぐ手段”があった。

……パチンコ。


それが、彼の世界のすべてになっていく。


灰色のホールの光の中で、
彼は小さな孤独を抱えたまま…

回る銀玉を見つめる生活を、
送ることになったのだった。


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